沖縄旅行総括

もう,とっくに東京に帰って来ていたのだが,行きがかり上,沖縄旅行の話をもう少し続ける。今回は,食い物ばかりではなく他のことについてもざっとおさらいしたい。

まず,着いた日は,空港でレンタカーを借り,そのまま,ひめゆりの塔に直行。せっかく娘を連れていったので,すこしは教育的なこともしようというもくろみだった。

幸い,展示物にはおおむね英語の説明文もあり,漢字がほとんど読めない娘にも親切だった。
また,ひめゆり部隊に所属していた実際の生き残りの方が,ボランティアで説明をしてくれていて,文字通り生き証人の話を聞けた。これは娘にとっても,我々にとっても衝撃的だった。
ここで感じたことについては,話しだすと長くなるので,別の機会に譲る。ただ,ひめゆりの塔は,沖縄本島に行ったら,外せない観光スポットだと思う。沖縄戦の悲惨さを知らずに,沖縄を楽しむことは気が引ける。やはり,このひめゆりの塔なり何なり,ひとつは沖縄戦に関連する施設を訪れ,この県の,いやこの琉球の歴史に敬意を払ったうえで,この島を楽しむべきではないかと思う。

最初の日はこれでタイムアップ。ホテルへの帰路,予想外の交通渋滞に遭い,他になにもできなかった。
夜食べたものについては,前回説明したので省略。

2日目。
首里城へ。これについては,沖縄本島に行ったら,やはり外せない観光スポットとだけ言っておこう。
写真は,首里城本殿の模型。これは北殿展示物のひとつ。ガラス張りの模型だが,しゃがんで低いアングルから撮ると,このように本物っぽく映る。私のあと,他の人もみんなマネていた。

午後からは,ホテルに戻ってその付近のアメリカ村を散策した。
夜はライブハウスで島唄を聞いた。各種沖縄料理をそこでも取った。タコライス(炒めライスにタコスソースをかけて食す)は初体験。

3日目。今回唯一天気が良かった日。
この日は那覇市内の一番の観光スポットである,国際通りを中心に歩いた。

市場本通り。カラフルなフルーツに目を奪われた。

公設市場では,豚,豚,豚に驚いた。

こんなのもあった。これはちょっといくらなんでも不謹慎。「豚の報い」っていう映画があったが,そんな報いを受けそうである。

昼食は,公設市場2階で摂った。ここでは,1階の肉屋や魚屋で選んだ食材を,調理してくれるが,我々は特にそういうことはせず,普通のメニューを選んだ。
おいしかったもの2品。
まずは,いかすみ雑炊。これは磯の香りも豊か。素晴らしい味だ。これを食べた事実はよく覚えておかないと,翌日,トイレで病気になったのではと悩むことになる。

ソーメンチャンプルー。激ウマ。帰ったら,作ってみたい一品。

食後さらにショッピング続行。
こんな店も珍しくなかった。ハブ酒が並んでいる。ひとつ二万円から五万円以上のものが並んでいる。こんなもの買う人いるんだろうか。いるんだろうな。オーストラリアには絶対持ち込めないと思う。税関で絶対アウトだ。

その後,太平洋側に出て,海を見た。これがちゅら海を見た唯一の機会となった。すでに日も暮れようとしていた。

この日はクリスマスイブ。帰ったら,ホテルのロビーで畳一畳分ぐらいの特大クリスマスケーキが正に切られようとしていた。子供を先頭に,人が群がり,通り抜けもままならない状態だった。切ったクリスマスケーキは子供優先で配られた模様。夕食に出かけるときには,まだたくさん余っていたが,夕食から戻ったら,片付けられていた。残念。

夕食後,ホテル25階の一室を使って作られた俄かカクテルバーでバーボンをすすった。これはそこから撮った,アメリカンビレッジの夜景。

最終日,ゆっくり起きて,朝湯につかった。クリスマスの日。特別にバラのエキスの入った薔薇湯となっていた。最初は,お湯が紫色だったので驚いたが,これは風呂のタイルが青いせいであった。タイルのメジはきれいな濃いピンク色になっていた。お湯につかっている自分の身体もピンク色に染まっていて,なんだかエロかった。気持ち悪いので,あわてて露天の温泉につかり直した。

空港に行くにはまだ間があったので,海軍司令部壕跡を訪ねた。小高い山の中に地下壕が彫られており,沖縄線に関する記念物の展示があった。

深く潜行する壕への階段。

一番生々しかったのがここである。2か月以上に及ぶ沖縄戦が終結したとき,多くの将校がこの部屋で自決している。壁に自決に使った手りゅう弾の破片がめり込んだ痕が残っているのである。これはショックだった。

その後レンタカーを返却。空港で最後の沖縄そばを食べて,泡盛を買って,全日程終了となった。

まあ,こんな感じで,飲むと買うが重点の沖縄旅行。今度は夏の泳げる時期に,リゾートに滞在してみたい。

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