パーマをめぐるユルいお話し

私が両親から授かったものの中で特に感謝しているものが二つある。

ひとつは目。最近さすがに老眼が入り,夜目が利かなくなったが,30歳ぐらいまで,視力はずっと2.0を保ってきた。
この20年ぐらい,視力を測る機会がないので,今現在の視力は不明だが,少なくとも,近視ではなく,視力良好といっていいだろう。

二つ目が髪の毛。
50になった今でも,全く薄くなる兆候はないし,白髪も最近ときどき2-3本見つかる程度である。後退もしていない。私のおでこの右上あたりの生え際からちょっと髪の毛の方に入ったところに,ほくろがある。
これが見えるようになったら,後退している証拠なのだ。これを私は「スリップサイン」と呼んでいるが,このスリップサイン,一向に現れる気配がない。

父は40歳のときすでにかなり薄くなっていたから,これはあるいは母方からの遺伝なのだろう。
私の髪の毛は女性のように細くてストレート,それもデッドストレートである。
これが,禿げない原因の一番なのかもしれない。

しかし,困ることもある。ほっとくと,ざんばら髪で,顔に落ちてくるのだ。
小学生のころは,3/7分けにしてたが,やっぱり落ちてきてとてもうっとうしかった。
かといって,スポーツ刈りとかは嫌いだった。

中学,高校と,とにかく前髪は伸ばして,横分けという典型的ダサい(当時のはやり言葉だね)少年ヘアーだった。
ちょっと駒トラにつながるものがあったな。
短くするのはいや。かといって,ポマードとかで固めるのはもっといやだったし,まあ,これしかない。仕方ないと思っていた。

私の実家の隣には,かつてパーマ屋があった。いまでもその残骸が残っている。二階はアパートになっていて,ここには今でも人が入っている。
そのパーマ屋はキンドーにちようさん(出たー!昭和ネタ)に似た店長と,敏子さんとかいうお手伝いさんがいて,この「おばさん二人組」でやっていたが,外国で修行してきたみたいな,デキル感じの若いお姉さんの技術者が週に何度か来ていた。
うちの母はそこによく通ってたので,その若先生の技術にはほれ込んでいた。
母は隣ということで,しょっちゅうその店を手軽に利用する。私も母に用事を伝えにいったりして,その店には,ちょくちょく出入りしていた。
大学生になってすぐのある日,その若先生に

「パーマかけてみたら?」

と勧められた。ちょっとカーリーサイモンを思わせる,大人の魅力をもった人だった。

当時,ザンバラ髪はいやだけど,直毛のサラサラ髪には一応誇りを持っていたので,

「ウェーブがかかるのはいやだ!」

と言ったら,

「あらー,そんなことないわよ,ゆるくかければ,自然に流れてかっこいいわよー」

とだまされ,ついフラッとして,かけてみることになった。

「絶対きつくかけないから」

と言っていたくせに,結果は,予想以上のチリチリであった。

次の日,学校で,友人に

「おばさん!」

といわれ,泣いて帰ってすぐに隣に行って,パーマ液でカールを伸ばしてもらった。

そんなことがあったにも関わらず,その後もその若先生についついそそのかされ,何度かパーマをかけたが,一度として満足いくものは得られなかった。
そそのかすなら,別の方で,そそのかしてもらいたかったと,今思い出すと思うのである。

その後,試行錯誤を繰り返し,今の妻と知り合ってから,彼女の着せ替え人形と化したりして,現在に至る。

だいぶはしょったな。約四半世紀のことを,一言で「現在に至る」はちょっと乱暴だった。
もうすこし詳しく言うと,結婚してからしばらくして,長髪は流行らないので,かなり短くしたことはある。ちょうど,1990年前後だろうか。そのころはまったくパーマをかけていなかった。
ジェルで固めて,髪の毛が逆立ってたっけ。部長から,「おめー,ずいぶん尖がった髪してんなあ。かっこいいじゃねえかよー」と半ば注意されたこともある。
しかし,やがて,再びやや長めの髪にゆるいパーマをかけるスタイルに戻った。

いつも,パーマがきつめにかかることが,悩みの種だった。
基本的には,何もしないとまっすぐすぎて,落ちてくるから,そうならないように,流れるように,というのがパーマの目的だった。しかし,あくまでも,癖の無い髪が信条だから,ウェーブがひとつでもできたら不合格なのだ。
しかし,とにかくパーマがかかりやすい髪質なのだ。
美容院や美容師が替わるたび,「絶対にきつくしないでください。かかってないと思うぐらいゆるくしてください。そう言っても,必ず,きつくかかってしまうので,注意してください。ゆるすぎるから金返せとは決して言わないから。」と口をすっぱくして言うのだが,最初は必ずきつめになってしまった。そうなると大変。その後1ヶ月は毎晩,洗髪の後,ブラシとドライヤーでかなり時間をかけてカールを伸ばさなければならなかった。

で,今はどうしているか?

今も年に1-2度,パーマをかけている。その間,2-3度カットだけをして,長さを調整する。
とかいって,実際には,慢性的に伸び過ぎの髪をしていて,ああ,今週は切らなきゃと思いつつ,つい2-3週間過ごしてしまうことが多い。

メルボルンに移住して,仕事が見つかる前は,さすがに倹約しなくっちゃと思って,美容院ではなく,床屋に行った。当時South Yarraに住んでおり,近所のPrahranにあるギリシャ系のおじさんがやってる床屋に行った。
羊の肉を食べている人独特の臭いがきついおっさんで,しかもどヘタ。バリカンでうなじを2回ぐらい切られた。床屋で流血するとは思わなかった。
次は,やっぱり床屋はだめだとばかり,そのそばの美容院へ,特に指名もないので,誰でもいいですといったら,ちょっと太めのいかれた感じのおねえちゃんが出てきた。タバコ臭くってたまらない。この人もあんまりうまくなかった。洗髪とかは,別料金。頭も洗わず,バリバリ切られた。

そのうち,仕事が見つかり,日本人の知り合いができると,結構ここに長くいる人でも,髪の毛はやっぱり日本人に限るということで,日本人にやってもらっている人が多いことが分かった。

South YarraのComoセンターに3人も日本人美容師がいるという店を紹介され,そこに行った。
さゆりさん,さとみさん,あゆみさんという3人の日本人美容師がいた。どうでもいいことだが,この3人の名前,3人のうち,どの2人をとっても,必ず共通のひらがなが一つ見つかる。おもしろいでしょ。(くだらないか?)

さて,やはり初めてで,誰がお勧めかわからず,ご指名もなし。
そうしたら,あられちゃんみたいな大きなめがねをかけた女の子が私についた。これがあゆみさんである。
彼女は私とほとんど同時期に,北海道から,さゆりさんを頼ってメルボルンにやってきたばかりだった。

この人のパーマが,絶ユルだったのである。
一発でパーマの加減がうまくいった初めての人だった。

それ以来,17年間,彼女に髪の毛をお願いしている。
なお,あゆみさんの「あられちゃんめがね」は,最初の1-2回で,その後はめがねをしなくなった。

先週の土曜日にもパーマをかけてきた。
もちろんあゆみさんにやってもらった。
「パーマはいつものとおり,ゆるくね。カットは伸びた分だけ。」
と言えばいいのでとても楽。

まあ,こんな感じで,髪の毛にはかなり気を使っているが,最近は,さすがに顔が老けてきて,もうこの髪型も似合わない。さらに,こう腹が出てきちゃあ目も当てられない。いっそもっと伸ばしてポニーテールにでもするか。

上記3名のうち,さとみさんは数年後に独立。しばらく出張カットをやっていたが,今はオーストラリアにいるのかどうか不明。
さゆりさんは,この店のオーナーから独立し,South Yarra駅そばにStairsというお店を出している。いまではメルボルンの日本人経営の美容院としては老舗の部類に入るだろう。
あゆみさんは,さゆりさんについてStairsでずっとやっていたが,つい最近独立して,同じSouth Yarraに自分の店を出した。

zuii hair 日本人の美容室

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