ねんど屋

昨日,何がきっかけだか忘れたが,会社の帰りがけに,懐かしいことを思い出してしまい。それが頭を離れない。
40年も昔の話。
パソコンも,e-mailもケータイもなかったころのことだ。もっとも,さすがに電話はあった。おしゃべり好きな女の子たちは,小学校も高学年になると,友達同士よく電話していたようだが,
電話は基本的に大人のものであり,男の子はそんなもの使わなかった。
コミュニケーションはすべて面と向って話すのみだった。
遊びの約束は学校でする。そうでなければ,いきなり家に行き,
「XXちゃん,あそぼ!」
と玄関,または門の外で叫ぶのである。
そういう時代だった。

大人だって,似たようなもんだった。
小津安二郎の映画を見るがいい。
主人公,原節子の父親,笠智衆の会社のシーン。丸の内のど真ん中の会社なのだ。
「よう,ヤスコちゃん。部長いるかい?」
などと,後の水戸黄門,東野栄治郎演ずる,取引先のお馴染みが訪ねて来る。
その人の紹介で,笠智衆部長の秘書になった岩下志麻が,
「あら,西村のオジ様,お久しぶり。お元気?部長,西村さんお見えです。」
「よう」
「や,こりゃどうも。いえね,ちょっと近所まできたもんですから,ご挨拶に。」
「そうかね。まー,座りたまえ。」
「いえいえ,すぐ失敬します。」
「まーまー,そう言わず。どうぞ。」
「さいですか。でも,お忙しいんじゃ。」
「うん,いや,そんなでもないよ。」
「じゃあ,ちょっとだけ」
「おい,ヤスコちゃん,お茶頼むよ。」
「いや,もう,おかまいなく。」

みたいなノリで,アポもとらず,他人の会社にいきなり押しかけたりしていたのである。
(以上すべて想像。本当にこういう映画があるわけではない。ただ,こういうシーンは小津の映画にしょっちゅう出てくる。)

ちょっと脱線した。
40年前に戻ろう。以下も事実に基づく創作だ。

「ねーもーとーくん!」

誰かが外から呼んでいる。

ニーダだ。

「おう,なんだ?」
二階の物干しから顔を出して答えた。

「おう,ねんど屋が来てるぞ。」

「やった!どこ?」

「三角公園。行くか?」

「行くいく。待ってろ,今,型出すから。」

去年もらった型を床に散乱するガラクタの中から引っ張りだした。半年前から部屋の整理をしていないってことだ。
小遣いをポケットに押し込み,外に飛び出す。

「ニーダ,おまえ,型は。」

「持ってきたよ。ほら。」

「よし,行くか。バラマツとか,誘うか。近所だし。」

「あいつなら,もう,いたよ。」

「そうか,じゃ行こう。」

三角公園はウチから100mぐらいのところにある。正確には矢印型の狭い公園だ。中野区立柏児童遊園というのが正式名称である。

もうかなりの人数が集まっていた。バラマツがいた。小林シンジと田中ユージもいた。なんだ,アライマンもサノも来てるじゃないか。誘えよな!
他のクラスの奴も,上級生も下級生も,どこの学校の奴か分らない奴らまでいる。

いつもの場所に,ねんど屋のおっちゃんがムシロを敷いて陣取っている。

ねんど屋は,黒っぽい顔色。頬がげっそりとそげ,丸眼鏡をかけていたような記憶がある。

年に1-2度,突然どこからともなく,自転車でリヤカーを引いてやってくる。
来ると1週間は毎日来るようになる。場所はここか,刑務所公園だ。
刑務所公園,本当は「中野区立新井西児童遊園」というのだが,当時中野刑務所があり,その正門向いにあったので子供たちはそう呼んだ。刑務所の塀の外には,他にも広場や野っ原が点在し,子供の遊び場だった。当時は「刑務所行って来る!」と親に断ってよく遊びに出かけたものだ。知らない人が聞いたら,ギョッとしたであろう。

さて,ねんど屋のおっちゃんだが,無口である。しゃべるとなんか癖がある。今,思い出すと,多分,在日朝鮮人だったのではないかと推測できる。どもっているようないないような。ボソっと必要最小限のことだけ言う。発する言葉は,「これいくら?」とか「これ何点?」という質問の答え。「20円」「500点」とシンプルな答え。あとは,眺めていると,「いらっしゃい」の代りに,「ねんど,買うの?」と言うだけだ。私は,このおっちゃんのことを,「ねんど買うののおっちゃん」とも呼んでいたような気がする。みんな,そのしゃべり方がおかしくて,真似したりして笑っていた。

おっちゃんの横には,型が陳列されている。
型は,薄いレンガ色の素焼きのプレート。厚さは2-4cm。小さいものならサービス版の写真ぐらい。大きいものは30x20cmを超えるものもあった。
そこに,漫画のヒーローや,乗り物,動物,怪獣といったさまざまなキャラクターの型が彫られている。

まず,おっちゃんのところに行って,ねんどと色を買う。
ねんどは,いまどきのプラスチック粘土なんかと違い,本当に泥のような天然の粘土である。ほぼ真黒。おっちゃんは,巨大な塊を持っていて,これを自分で,適当に握り寿司3個分ぐらいの量に分け,ひとつ20円ぐらいで売っていたか?
正確には,買うのではなく,借りるのである。なぜなら,持ち出し禁止で,あとでおっちゃんに返すからだ。

「色」とは,色紙に1x3cmぐらいに小さく包まれた色の粉である。値段は,色によって違い,20-50円ぐらいだったか?メタリックカラーは高かった。それを予算に合わせて,数色買う。

まず,型に粘土を押し込む。隙間ができないよう,丁寧に押し付けていく。

そして,それをそっと取り出すと,型どおりの立体クレイモデルが出来上がる。

これに,塗り絵の要領で,色を塗っていく。指に粉をつけ,粘土に塗りたくっていく。

完成したら,作品をおっちゃんの所に持っていく。

おっちゃんは,手にとって,それを独断と偏見で評価し,できばえに合わせてボール紙でできた点数カードをくれる。
作品は,大抵,その場でおっちゃんがつぶして,元の山に戻してしまう。
よっぽど良くできていると,おっちゃんの横に飾ってくれる。それもその日だけの命である。

点数カードをためて,点数に合わせて,型を買う。
色の包み紙には,ときどき,当たりがあって,点数カードとして使えたりする。
また,点数を色に替えることもできたような気がする。

これがこの遊びの全てだ。

おっちゃんは,手すきになると,自分でも作品を作る。もちろん,すべて自前なので,大きな型に惜しみなく大量の粘土を詰め込み,色もメタリックのきれいな色をふんだんに使って作る。ガキの作品とは月とスッポンである。横に並ぶ作品のほとんどはおっちゃんの作である。そこに自分のものも飾られたら,どんなに誇らしいことか。

そして,それよりも,何よりも,もっと大きい型,かっこいいキャラクターの型が欲しい。それには点数を集めなくてはならない。
高い点を取るには,なるべく大きな型に,ふんだんに粘土と色を使わなくてはならない。型に押し込むのも丁寧にやらないと,表面にひびが入ったりして,減点の対象となる。それから,3Dの作品だから,上面だけでなく,側面まですべてむらなく,色を塗らないと高い点数がもらえない。

ガキどもは,回りの作品を見ながら,自分なりに創意工夫し,なんとか,安い元手で,高い点数を取ろうと作品に磨きをかける。そして,おっちゃんの採点に一喜一憂し,あるいは腹を立て,あるいは新しい型を手に入れ,創作意欲を新たにする。

小さい型だと,一回買った粘土で2回作れる。
私はこれをケチって,3回に分けたことがあった。

おっちゃんは,作品を評価し,点数カードを取り出したが,渡す直前に,うん?と気付き,私の作品をつぶして団子にすると,売り物の粘土と大きさを比べた。
そして,小さいと知るや,点数カードをうんと減らしてから,私に渡した。ばれた!却って点数が割安になってしまった。おっちゃんはといえば,その間,「うん?」ぐらいしか発声しない。寡黙で,厳しい,ちょっと怖いおっちゃんであった。

こうして,当時のガキは,投資しなければ,リターンもない。とか,世の中,そうそう,うまい話はないということを,悟っていったのである。

ほぼ,お小遣いが尽きた頃,おっちゃんは現れなくなる。その間ガキどもは,今までより大きな型をひとつか二つ,新たに手に入れるのだった。

粘土買うののおっちゃんは,私が中学に上がったころから,現れないようになったと思う。
今ごろどうしているだろう。生きてたら80歳過ぎているかな?

あまりの懐かしさに,Web検索してみたら,この粘土遊びについて書いてあるサイトが見つかった。写真などもあるので,見てみて欲しい。
型屋という呼び方もあるらしい。

http://www.geocities.jp/asobinogakkoyoseijyo/kataya.html (リンク先ページがなくなりました)
http://www.onda-honpo.com/kataya/
http://www.kusou.co.jp/new-okotu/tuhan/kataya/door.html

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