慶應美人,女子高3美人

年末年始を日本で過ごした我が家であるが,娘はまだ東京に残っている。
そして,妻は今週,仕事で東京にとんぼ返り。というわけで,今週,私はにわか独身生活を送っている。久々の一人暮らしは,結構さびしく,応える。一人暮らしの人はみんなよくやっているなあと思う。

で,毎晩一人で夕食というのもなんかなーと思い,今日は大学の後輩のA子さんを誘ってディナーとなった。

後輩とかいっても,一回り以上年下。同じ学部でもなく,同じサークルとかでもない。こちらに来てから知り合った人だ。

メルボルンにも慶応義塾の卒業生(これを塾員という)の集まりである,「三田会」がある。総勢30名ちょっとのこじんまりした同窓会なのだが,常連としては10人ちょっと。そういう常連の中では,現在A子さんが紅一点である。
古い言い方だけど,才色兼備の慶應美人である。
慶應義塾は昨年,創立150周年を迎えたのだが,それにあたり,お決まりの寄付金の募集があった。メルボルン三田会としては,どうするかという話になったことがあるのだが,彼女に文字通りひと肌脱いでもらって,水着カレンダーでも作り,その売上金を寄付金に当てるかなどという議論が半ば本気で行われたこともあるぐらいだから,もうそれは大変なものだ。そういう彼女に,快く今日のディナーのお相手をしていただいた。彼女も仕事が結構忙しいらしい。そんな中,私のために時間を割いて来てくれた。おかげで,楽しい時間が過ごせた。大変感謝している。

昨日,メルボルンは40度近い猛暑に襲われた。予報では,今日はもっと暑くなるということだった。そこで,暑いとなればカレーだとばかり,Cityにあるインド料理の店を予約した。
ところが,予報は外れ,今日はめずらしく午前中にクールチェンジが来てしまい。23度程度というさわやかな日となった。おかげで,インド料理はちょっと肩透かしを食った形であるが,それでもおいしくいただいた。

さて,ここからは全く違う話になるが,慶應美人ということで,思い出した。

中野の実家に帰ったとき,そこにあった週刊現代を何気なく読んでいた。12月の何日号だったか?

その中に,池田晶子さんという早逝した哲学者を偲ぶ記事があった。恥ずかしながら,私は彼女のことを全く知らなかった。この記事,読み進むと,あまりにも私に近い世界の話で驚いた。
彼女は慶應義塾女子高校から大学は文学部哲学科に進んだ人だという。この記事を書いているのは同じ文学部の同期の男性である。その男性のことも知らないけれど,彼は慶應義塾高校(いわゆる塾高,日吉高)の出身で私と同窓である。

その彼が書いている。「当時,私の代の慶應女子高には,3美人と呼ばれる美人がいた。一人が紺野美沙子(本名 佐藤美佐子),そして,池田晶子,あとのひとりはSといった。Sは有名になることなく,ある素封家に嫁いだ」とある。そのコラムに載っている池田晶子さんの生前の写真は,若き日の淡島千景を彷彿とさせる。なるほど。これに紺野美沙子ともう一人。うーん,すごそうだ。

いったい,そのもう一人のSとは誰なのか?

某SNSの仲間に,紺野美沙子と同期の女性がいる。彼女,Nさんは,中学(中等部)時代のクラブの後輩である。そこで,NさんにこのSとは誰のことか,メールで聞いてみた。ちなみにNさんの旧姓もSだったので,もしや?とか思ったりもした。

今日その答えが来た。3美人などという言葉は聞いたことがないが,紺野美沙子,池田晶子と並ぶ美人というなら,思い当たる人がいるという。名前まで教えてもらったが,私の知っている人ではなかった。確かにイニシャルはS,ある国会議員の息子に嫁いだということだから,おそらく当りだろう。NさんによればSは「超美人」で,紺野美沙子(彼女らの間ではサッコと呼ばれていたそうな)とも仲が良かったのだそうだ。ふーん,そうなのか。

Nさんによれば,Sも超美人だったが,有名人になるタイプの美人とは違うのだそうだ。有名人になるタイプ(要するに派手?)の美人としてはあと二人いて,一人は特に有名人ではないので名前を伏せるが,もう一人はフリーのアナウンサー,中谷久美子(なかやくみこ)さんだそうである。

しかし,この代はすごいなー。綺羅星のごとくとはこのことである。私の同期にも美人はたくさんいたけど,さすがに,ここまで花開いてはいない。

2年遅く生まれればよかったね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です